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2008年1月30日水曜日
2008年1月28日月曜日
家内の還暦祝いで食事会
1月27日(日)家内の誕生日。ちょうど日曜日と重なったのでかねてから娘から聞ていた八掛に昨年4月28日オープンした「石亭 松の茶屋」で食事会をすることにした。 自宅を出発したのは午後3時過ぎ、道順は古いカーナビに従って娘の運転で約1時間半で到着した。
聞くところによるとこの建物は昔の庄屋さんの家を改造した立派な石亭である。園内は滝もありその水力を使った水車でお米を食べさせてくれます。懐石料理。豆腐料理の店で、その規模と豪華さは目を見張るものがある。その割には安い。
DivX-Playerをダウンロードして動画をご覧ください。 |
田井ご近所スクラム田井今年の初仕事
6名の方が朝田井市民センターに集まり、今日は田井地区北部(梶原地区)をパトロールすることになりました。市民センターを出発して梶原方面に向かった。3.25Kmをゴミを拾いながらパトロールした。
道路の距離を測るのは、こちらのホームページでかなり詳しい距離が測れます。
赤線の道路は県道の信号をはずして通れる裏道で、競輪へ通う人などが煙草のポイ捨てや弁当ガラや空き缶のポイ捨てが目立った。 |
道路の距離を測るのは、こちらのホームページでかなり詳しい距離が測れます。
梶原にある児島第14札所 |
狭い路地で田淵さん宅のミニギャラリーで絵を見る隊員たち |
2008年1月26日土曜日
関東から「ちち☆ばす」の代表がした打ち合わせにやってきた!
今朝から、ミネルバでパソコン講習(EXCEL)、午後は田井土曜塾で16名の人で賑わいました。午後4時過ぎ、玉野市商工観光課と「ちち☆ばす」の一橋大学関東勢2名がとんぼ玉クラブ(るんるんに島)にやってきた。約40分ほど会話をして、面白い意見も出てきました。詳細はこちら。
2008年1月24日木曜日
2008年1月20日日曜日
忙しい日でした!
朝久しぶりに寝坊し6時半起床。9時半からミネルバのパソコン教室。
11時半に終えて帰宅。昼食を採り、午後1時過ぎに田井土曜塾。今年初めての塾で新人さんが3名増え賑やかでした。
午後4時土曜塾を終え、アート工房るんるん島に行き玉野とんぼ玉クラブの会計処理。今日は先生日で堀口先生の指導があり6名の参加者で賑わったようです。岡山からネットで新人さんも1名こられたようです。
会計処理もそこそこに駅東創庫の中村一郎画伯の遺作展を見に行った。
5時までで閉店間際だったので10分ほど見て帰宅。6時からの33会の新年会に池田や向かった。池田屋では33会が2つもあり、会場を間違えて玉野高校33会へ行ってしまった。私たちの33会(地元在住の同窓生のゴルフの会で昭和33年卒)は宇野中学校のものであり、玉野に33会が2つあることを知った。昔話に花が咲き楽しいひと時であった。帰りに池田屋の出口で玉野高校の33会の女性の先輩にあったが、知ってる人たちで長話。少し酔っ払っていたのだろう。何を話したか忘れた。とにかく忙しい一日でした。今日はゆっくり過ごしたものです。
11時半に終えて帰宅。昼食を採り、午後1時過ぎに田井土曜塾。今年初めての塾で新人さんが3名増え賑やかでした。
午後4時土曜塾を終え、アート工房るんるん島に行き玉野とんぼ玉クラブの会計処理。今日は先生日で堀口先生の指導があり6名の参加者で賑わったようです。岡山からネットで新人さんも1名こられたようです。
左から藤井さん、太田さん、堀口先生の作品 |
中村一郎遺作展 |
5時までで閉店間際だったので10分ほど見て帰宅。6時からの33会の新年会に池田や向かった。池田屋では33会が2つもあり、会場を間違えて玉野高校33会へ行ってしまった。私たちの33会(地元在住の同窓生のゴルフの会で昭和33年卒)は宇野中学校のものであり、玉野に33会が2つあることを知った。昔話に花が咲き楽しいひと時であった。帰りに池田屋の出口で玉野高校の33会の女性の先輩にあったが、知ってる人たちで長話。少し酔っ払っていたのだろう。何を話したか忘れた。とにかく忙しい一日でした。今日はゆっくり過ごしたものです。
2008年1月16日水曜日
2ヶ月休んだ太極拳
すっかり忘れている。
今年は本気で練習しようと思う。(さて何時まで続くやら)
2008年1月13日日曜日
2008年1月12日土曜日
愛知県江南市へ
1月6日(日)午前11時6分 名古屋にいる家内の母親が亡くなった。12月始めごろ危篤になり、見舞いに新幹線で行ったが、既に意識はなく死が間近いと感じていたが、延命処置を施したがついに甲斐もなくなくなった。お通夜はなくなった日が友引なので2日間のお通夜となった。
犬山城
またの名前を「白帝城」とも呼ばれ元和3年(1617年)、徳川家康9男義直の尾張入りに際して、既に没した平岩氏に代わって傳役となった成瀬正成が、旧平岩氏附属の同心を家人として、3万5千石を領した犬山城主となった。以後、成瀬家は2台正虎・3代正親・4代正幸・5代正泰・6代正典・8代正寿・8代正住・9代正肥と犬山城主を世襲するとともに代々尾張藩の筆頭家老を勤めた。なお、近世以降も10代正雄・11代正勝・12代正俊と今日に至るまで成瀬氏が犬山城を所有してきた。
平成16年4月1日に国宝になった。
またの名前を「白帝城」とも呼ばれ元和3年(1617年)、徳川家康9男義直の尾張入りに際して、既に没した平岩氏に代わって傳役となった成瀬正成が、旧平岩氏附属の同心を家人として、3万5千石を領した犬山城主となった。以後、成瀬家は2台正虎・3代正親・4代正幸・5代正泰・6代正典・8代正寿・8代正住・9代正肥と犬山城主を世襲するとともに代々尾張藩の筆頭家老を勤めた。なお、近世以降も10代正雄・11代正勝・12代正俊と今日に至るまで成瀬氏が犬山城を所有してきた。
平成16年4月1日に国宝になった。
2008年1月1日火曜日
明けましておめでとうございます
田井八幡宮に初詣に行きました。時間は午前10時ごろでしたが結構な人出でした。
田井八幡宮の由緒
- 祭神
- 応神天皇(おおじんてんのう)第15代天皇
- 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)第14代天皇
- 神功皇后(じんんぐうこうごう)仲哀天皇の皇后
- 由緒
内海を眼下に見渡せ静寂なこの地には古くから地区民によって社が創建されていたと口碑されている。
室町時代田井の豪族であった田井新左衛門信高(南北朝時代の人)後裔筑前守久信が八幡様からの夢告を受け社を再建し神像を造り奉納した。
胎内に
- 文正元年(1466年)丙戍11月15日
- 願 主 佐々木筑前守源久信
その後寛文元年(1661年)本殿が改築され、続いて元禄12年(1699年)幣殿と拝殿それに釣殿も改築されたと棟札に記されている。
現在の本殿は万延元年(1860年)拝殿は明治32年に拝殿釣殿は昭和3年に建築されたものである。
拝殿東には樹齢700年の樟(くすのき)がそびえご神木とされている。
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