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2009年2月2日月曜日

田井八幡宮節分祭奉納演奏を聴いてきた!

 2月1日(日)午前中は、ミネルバでエクセル講座。田井八幡宮の節分祭には参加できず。
午後から、奉納演奏会があるというので境内まで登ってきた。
 音楽はアンビエント(環境音楽)という奇妙な音楽だったが、不思議と八幡宮の境内にはマッチしていた。
 しんと静まり返った境内で、小鳥が鳴く中の演奏は素晴らしいものでした!
 映像は田井八幡宮のブログを参照ください
 


 倉敷ケーブルテレビも取材に来られていました。放送は2月3日の午後5時からとのことでした。
 山陽新聞の記者も取材に来られ、こういう音楽は「アンビエント」ということを教えてもらいました。さすが若手の新聞記者ですね!
 これを聞いた宮司さんの奥さんや年寄りの氏子は、感心するばかり!!
やはり若い人の話を聞かねば知ることはないですね。
 ネットで何でも分かると自負している私などは、「フール」そのものかも!
 演奏が終わり、宮司さんと田井地区の歴史のお話を伺いました。
 結構古い写真が本殿にはあり、また氏子のお年寄りのお宅に貴重な写真が残っているそうだ。
 いろいろと宮司さんから伺った。
 
 

5 件のコメント:

宮田 さんのコメント...

田井村の歴史には非常に興味があります。
この半年は田井の神社、仏閣、地蔵尊等探しながら山、旧道等を歩きました。
田井村誌、玉野市史に記載されているものを探しました。
多くの写真を撮りましたが、古い地名がわからないので苦労しています。
先日は玉野市史、田井村誌にある先祖13代前の150cmの厨子式石塔等を見つけました。
寺屋敷といわれるところです。道が出来き45年前の写真とまったく風景が違います。
史跡がなくなり、歴史が風化してきています。金剛寺にたずねてもよく判らないとの返事しかない。
史跡、歴史を何らかの方法で残す必要があると思います。
まだまだ身体が元気であれば歩いてみたいと考えています。
                  以上

岡部成行 さんのコメント...

宮田様
コメントありがとうございました。
私は田井地区へ移住して20年がたちましたが、現役時代は田井のことは考えてもみなかったのですが、引退して少しでも田井地区にお役に立ちたいと思っています。そこで3月25日田井地区のコミュニティーのホームページを立ち上げ、田井の歴史のカテゴリーを作っていますが、まだ1件の記事も記載していません。
 来る4月22日(水)10時から田井コミュニティーの第2回目の会議を田井市民センター図書室で行いますので、ぜひ参加してください。
田井コミュニティーのページは下記です。
http://taiyotai.com/
また田井八幡宮も萩野宮司さんと一緒にブログを作りました。

宮田 さんのコメント...

田井村に二つの城がありました。一つは田井城、もう一つは駿河山城です。
田井城は見能にもう一つは梶原です。田井城の位置は特定できません。駿河山城跡は特定できます。今は山頂に金刀比羅が祀られています。祠が三塔あります。
田井城は田井氏の居城でしたが、南北朝時代に田井氏は姿を消しています。田井新左衛門がその流れを組んでいます。三宅一族が子孫と思われます。小池に新左衛門のお墓があります。
駿河山城は鎌倉時代頼朝の重臣で梶原一族の居城の一つといわれています。
梶原源太坂などの地名も残っています。
また、梶原六郎の墓もあり、今、探していますが、まだ見つけていません。
駿河池の周りには、荒神様やいろいろの石塔があります。
まだまだ書きたいのですがまた書き込みをします。

宮田 さんのコメント...

たびたびごめんなさい。
前丁場に建部神社があります。不動明王、弘法大師を祀り前丁場部落の鎮守です。
勸請年月日は不詳です。
もともとは部落中央に宮田善助所有の岩石を重畳し峨々たる巌山という山頂に不動明王、中段に建部神社、下に弘法大師を祀るが明治二十年頃今の地に遷座しました。
宮田善助は門花屋の当主です。代々当主が善助を継いでいます。
明治の終わりまでに門花屋は潰れています。
行きやすく、広い場所ですのでお参りをされてはと思い書き込みをしました。
田井村誌、玉野市史などにも記載されています。
                  以上

宮田 さんのコメント...

ごめんなさい
テストです。