10月28日の山陽新聞の1面に掲載された。
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新聞記事(平成20年10月28日山陽新聞トップ面)
明治末期に撮影されたとみられる開港問もない宇野港の写真が、玉野市内で見つかった。宇高連絡船愛好会の三村卓也会長によると、港や連絡船だけでな<、塩田や宇野駅までを1枚に収めた当時のワイド写真はほとんどないという。来年開港100周年を迎える宇野港の歴史を伝乏る貴重な資料となりそうだ。(平松隆)
写真はモノクロで、縦7.5cmm、横22cm。同市築港に住み、今年亡くなった岡本隆弘さんの遺品整理をし
ていた家族が十月中旬に発見、同愛好会に寄贈した。専門家によると、別々に撮影した2枚の写真を「密着焼き」といわれる特殊な手法でつないで一枚に仕上げているという。
写真の中央やや左に見えるのが.「内海の女王」と呼ばれた初代連絡船玉藻たまも丸。宇野駅のほか、現在は残っていない浮桟橋や水上警察庁舎、塩田も写っている。塩田手前まで第2、第3突堤が整備された今の港と比べ、当時の規模はかなり小さかったことが分かる。
三村会長によると、浮桟橋の形状などから開港翌年の1910年(明治43)年末に、同市宇野か築港で撮影された可能性が高いという。
1974年(昭和49)に県土木港湾事務所(現在は廃止)が発行した資料集「宇野港」に同じ写真が掲載されているが、県港湾課などは「県には残っていないのでは。撮影者も明らかでなく、この写真が原本である可能性が高い」と話している。
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